Thunderのおはなし

タイトルが発表されてから、ツアーを見に行くまで、
私はこの曲のおかげで、
おおいに感情を揺さぶられて、色々なことを考えていた。

ますださんを好きになって、怖くなって、でもまた好きになった。

その記録です。




アルバムEPCOTIAに収録されるますださんのソロ曲が『Thunder』だと発表された時、

「よし!2年ぶりにガシガシ踊る姿が見れるぞ!」

というのが第一印象でした。
タイトルからRemedyやLIS'Nのような曲が来そうだな、と思ったので。
やっぱりますださんのダンスは大好きだし。


そして、アルバムを手に入れて初めて聴いた感想は、
「カッコイイ!」でした。

単純。


でも、歌詞カードを開いて、気付く。

「あ、これ、ヤバいヤツじゃん。。。」と。



ますださんが、心臓をさらけ出したと思った。



歌詞を把握してから、
もう一度聴いて、
私には、ますださん自身の声、だけど、
それだけじゃなくて、
昨年の小山さんと手越さんが色々言われてた件も頭をよぎった。

うわべだけで、知ったようなふりして、あることないこと言う人たちに、
俺をみくびるな、と。

それと同時に、自分の大切な仲間たちを、同じように攻撃してくる人たちに、
俺の仲間をみくびるなよ、と。

そう言われてる気がした。


この段階では、まだまだ楽曲としてのカッコよさも魅力的で、
何回も何回もリピートして聴いてた。


それからしばらくして、シゲのライナーノーツがアップされる。



そして、私は、『Thunder』を聴けなくなった。



ライナーノーツを読むまでは、
私の中で、
この歌詞のどこからどこまでがますださん自身の言葉なのか、
すべてではないのではないか、と、半信半疑だった。

クレジット上は、ますださんの名前はどこにも無い。

いつもますださんはソロ曲作製にあたり、
景色とか色とか言葉とか、かなり細かいところまでオーダーを出していると言っていた。
今回もそうだと言っていたけれど、
クレジットに名前がないのであれば、ますださん自身は作詞をしていないはず。
この歌詞の中のいくつかのフレーズはますださんが指定しているかもしれないけれど、
でもほとんどは作詞家の方が書いたものだ、と思っていた。
と、いうか、思おうとしてた。


でも、シゲに、正面から、受け止めろ!と言われた。

ほんの少しだけ、これはますださんの言葉じゃないかも、
なんて逃げようとしていた私に、
シゲは、すべて受け止めなさい、と。


そして、
これがすべてますださんの中に本当に存在する葛藤だと分かったら、
私は怖くなって、この曲が聴けなくなってしまった。

アルバムを聴くと、流れで『Thunder』が流れてしまうから、
アルバム自体も聴かなくなってしまった。


あのとき、私は、何が怖かったのか。


それは、約1か月後、
ライブでのますださんの渾身のパフォーマンスを見て、
やっと理解できた。


何が、怖かったのか。



それは、「拒絶」だ。



私は、『Thunder』によって、
ますださんに拒絶されたように感じてしまったのだ。


本当はピエロを演じてることもあるの、知らないだろ?
俺のこと分かってるつもりだろうけど、バイアスのかかった情報で、何を分かったつもりになってるんだ?
どうせ、いつか俺のことなんて忘れるんだろ?
飽きたら離れていくんだろ?


そう、言われているような気がしてしまったのだ。



ますださんのことを、
アイドルのプロフェッショナルだと思っているからこそ、
長年ファンとして、とても愛されていると感じていたからこそ、
拒絶された(ように感じた)のがショックだった。



そこから立ち直れないまま、
私はライブに向かうことになる。

ますださんに目の前で『Thunder』を歌われて、
その思いを受け止められるのか、分からないままだった。


事前情報を何も得ずに行ったので、
どのタイミングで歌うかも分かっていなかった。

それでも幕が上がれば、
目の前にNEWSがいる嬉しさで舞い上がって、
『Thunder』のことは忘れて楽しんでいた。


そのうち、JUMP AROUNDとBLACKHOLEが連続で披露される。
完全なるますださんゾーン。

次が『Thunder』だと、確信してから、
急に緊張が増した。


この時の緊張感は、どこか、あの日に似ていた。
初めてストレンジ・フルーツを見に行った日。
グローブ座に向かう電車の中での緊張。

それは、
「これを見たら、私の中のますださん像が崩れてしまうのではないか?」
「これを見たら、今までのように、すべてを受け入れて応援することが出来なくなってしまうのではないか?」
という恐怖を抱えた緊張だった。


私は長いことますださんを応援し続けていて、
なんだかますださんのことを知り尽くしているような気になってしまっているからこそ、
もし知らない一面を知ってしまって、
それが好きになれない一面だったらどうしよう?、
もう今までどおりの「好き」ではなくなってしまう、
という恐怖を感じたのだ。


結局、ストレンジ・フルーツを観た後、
その心配は杞憂に終わったけれど、
観終わるまでは、本当に怖かった。



今回の『Thunder』も同じだった。

怖くて曲も聴けない状態だったのに、
無情にも、
会場には、あの雷鳴が轟き始める。

そして、ますださんは一人でステージに立ち、
『Thunder』を歌い上げた。



動くことも出来ず、
ただひたすらにますださんを見つめて、
その歌声に飲み込まれた。


そして、気付く。


ますださんは、
誰も拒絶なんかしていなかった。


むしろ、誰かに、歌を届けようとしていた。



誰に?なんて、聞かなくても分かる。

ファンに向けてだ。



ますださんが歌い終わって、
私は一気に肩の力が抜けた気がした。


数週間、『Thunder』を聴けずにいたけれど、
なんのことはない。

最初から加藤さんは言っていた。
『受け止めろ!』と。


そうだ。
ますださんは、この曲を、
私たちに向けて歌っている。

『拒絶』したかったら、こんな歌をわざわざ歌ったりしない。

一人になりたいから歌ったのではなく、
この曲を受け止めてくれる人がいると信じているから歌ったんだ。

私たちファンが、
ますださんにとって、
この葛藤をさらけ出せる相手だと思ってもらえてるのならば、
それはとても光栄なことだ。



ますださんは結局、最後の最後まで、
『Thunder』の歌詞の意図についてはコメントしなかった。

どんな風に作ったかは語ったけれど、
何がテーマで、何を伝えたかったかは、
一度もどこでもコメントしていない(はず。見逃してたらすみません。)

言葉よりも歌の方が伝えられると思ってたんだとしたら、
とてもますださんらしいな、と思った。


なのに、
シゲには「ライナーノーツ書いて!」って、お願いしてた。
自分が言葉では伝えられない(と思ってるだろう)ことを、
シゲならうまく言葉で伝えられると思ってるんだな、と。

それだけシゲのことを頼りにしてるんだとしたら、
こんな風に信頼し合ってる相手が同じグループにいてよかった。
ますださんの思いを正しく汲み取って、言葉で伝えられる人が、一番そばにいてくれて、よかった。


最後はシゲマス尊い!みたいな内容になってしまったけど。笑


『Thunder』によって、
私は前よりももっとますださんが好きになれました。


26歳を越えて、
少しずつ等身大の増田貴久をさらけ出してくれるようになって、
その分どんどん好きになっている気がします。


これからも、
もっともっと好きになる日々が待ってるのかと思うと、とても楽しみです!


P.S.
今までMASTER HITSで一番にソロ曲をかけていたのに、
今回は全然かけないから、
てっきり、この曲について話す心の準備が必要なのかな?
なんて思ってました。笑

まさか忘れてたなんて!笑

でも、ますださんのことだから、
忘れたふりして、やっぱり話したくなかったのかも?なんて。
そんな駆け引きみたいなことする人なのかも?って
考えてしまったのはやっぱり『Thunder』のせい、なのかな。